完璧主義の私と元気いっぱいの娘
つい最近、自分が完璧主義な性格でしかも自分が清く正しい人間だと、そうあらねばならないと本気で思っていたことに気がつかされた。
今までの私は真面目にしている割に行き詰まることが多く、ある人からは真っ直ぐな硬い棒のようだと例えられたこともある。
ポキッと折れそうだと。。
これまでの人生では、生き辛く苦労はしたものの辛くなると逃げ出すことができた。
しかし高齢出産で子供を産み育てる中で、私は今の性格のまま行くと自滅して育児ノイローゼはたまた発狂して子供に危害を加えてしまうのではないかと限界を感じるようになっていた。
昼寝を規則的にしない、そして体力が有り余った娘には格闘家のように体当たり、頭突きは当たり前。横になっていても、私の頭をクッションがわりにして顔が押し潰されとてもリラックスどころではない。
足癖が悪く横から胃のあたりに思いっきり左足が直撃。
顔面も何度となく強打され、目や顎、唇などがあざとなってしまいやられボクサーのような気分になったものだ。
これはなんとかしないと、まずい。
人生でこれほど限界を超えたことはなかったかもしれない。
保健師さんや子育て相談、一時預かり保育などを頼り2歳半の今まで何とかやり過ごすことができて来た。
しかしそれらは本当に私の大変さを理解してくれるものではなかった。
あくまで自治体の市や町のサービス提供だった。
それはそれで大変助けては頂いたが、私が求めているものではなく、どこかいつも気を使い相手が仕事としてやっている感覚があって、気が緩むとかそのような状態にはならなかった。
私の前での顔と役場に持って帰って話し合う顔はきっと違うんだろうなと本能的に感じ取ってしまい、虐待をしてしまわないようにお母さんをリラックスさせねばという気持ちが伝わり、そんなんじゃないんだけどなとズレを感じたりしてしまうのである。
育児に悩むお母さんよりも自治体は、小さな子供が犠牲にならないようにお母さんをサポートしているようにしか感じられず、お母さんは何処で休むのだろう、誰が信頼出来るのだろうとシンプルにそう思った。
だから私は、自分が信頼できる場所を探しを始めることになる。
たどり着いた先は、天界のピプノセラピーとYouTubeで happyちゃんという存在だった。
カウンセリングや占いは一時的には楽になるけれど、持続性がない。
本当に自分を変えたい。
その本気さが伝わり出会わせて頂いたのだろうと思っている。
セラピストの先生からは、前世や過去生にどんな人物でどんな職業をしていたのかを教えてもらうことができた。
そして、育児の話になった時に、女優の竹内結子さんというワードが浮上してきた。
性格が大変よく似ているらしいとのことで、私も行き詰まった先にはポキっと折れてしまうかもしれないと受け入れて話を聞いた。
それらは全て完璧を求めてルールなどに縛られ無意識に自分にも他人にも厳しい状態から引き起こされる。
こうであらねばならないと狭い思い込みに自分を縛りつけ、自分で自分を虐めたり怒りや執着心などでがんじがらめになっていく。
天界のピプノセラピーでは、誘導瞑想などがあり自分の魂をクリアリングすることができる。
目には見えない存在を信じるのは恐れを抱く。
本物なのか。。
私は光の存在に直結したい。闇にはもう繋がりたくない。
貴方は誰ですか?私を騙すのはもうやめてほしい。心で叫ぶ。
何故なら私は本気だから。もう背水の陣。
天使と高次の存在いっても、本音の私は恐れを隠せない。
恐れていた私にhappyちゃんのyoutubuは勇気を与えてくれた。
私がホッとする事や好きな事をしている時、自分の周波数が高くなり周波数が高まると、それに見合った物事が引き寄せられる。
自分がこうしたいと思った事を、やっていくと自分に我慢をさせていた事に気がつく。
多くの専門職やセラピストさんに多いのが、悩みを正直に打ち明けたクライアントさんに対して、そういう考え方じゃこうなちゃうんですよとまず受容して、肩の力を抜いてとリラックスしてと言われるが、
完璧主義の人からすれば、そこがわからない。
できない自分を責める時だってある。
自分がこうしたいと思う事を忠実にしているときには、イライラやストレスはないのだ。
夫にイライラしているのは、私も手を抜いて楽をしたいからだった。
悪口や陰口をいう人が嫌いなのは、私が本当はそうしたいから。
子供のことでイライラするのも、子供のように本当は私もやりたい放題したいから。
相手は鏡という法則があるが、嫌いな相手は嫌いなままでいい。
ただ私を良くも悪くも映し出し続けていてくれていたのだ。
本当の私はとてつもなく自己中な人間だった。
それがわかった今は、楽になってきたし、相手にイライラできなくなってきた。
だって本当は私もそうしたいとイライラしていたのだから、自分も楽すればいいのだ。
そして、神の子である本来の自分の位置に戻ります。
という言葉が心に湧き上がる。
一なる神の元へ帰りなさいというのも、修行して何生も経て帰るのではない。
今元の位置に帰るのだと気づけたことで、今までの自分を完璧にしなければという概念がぶっ壊れた。同時に鍋の持つところがボロッともろくも折れた。
これは古い考えに苦しんできた自分卒業のサインだったに違いない。
また、掃除機を取り出そうとしたら、クローゼットの扉にこめかみを強打した。
一瞬あまりの痛みにうずくまってしまったが、もう掃除はいいから休みなさいと無理をしがちな私へのサインだと思う。
見えない存在は、確かに存在している。
コロナも誰もこうなるとは思わなかったはずである。
人間は、心臓を止めることは出来ても再び動かすことはない。
意識しないだけで私たちの身の周りは神秘に満ちあふれているのだ。
しかし、現在のスピリチュアル業界は闇がかっていて、真実が見えにくい。
修行僧だけが真理に近づくものではなく、庶民の私にも求めるものには皆平等に光はもたらされる。こう信じ続けている。
そうでなければ、行き詰まって苦しんでる人はどこに救いを求めれば良いのだろう。
私は、自分の記録用日記にとどまらず、多くの育児や自分の性格等に苦しみ悩む人たちに情報や自分が体験して良い事をシェアしていきたい。
脱力育児日記だけど奥が深い。。
でも、少し自分の中が変わってきたので記録していきます。